
Student Stories

「沖縄を思うとき、私は何よりもまず、
そこにいる人々を思い浮かべます。
いちゃりばちょーでー!」
Mika Naylor
沖縄に来る前
ICLCに来る前、私は沖縄に行ったことも、地元の県人会を訪れたことも、家族以外のしまんちゅと交流したこともありませんでした。世界中を転々とした後、母が大学に通っていた頃にヴァージニア州リッチモンド郊外に落ち着いたため、祖母も母も、アメリカ各地の大都市に存在する沖縄コミュニティのネットワークについて知りませんでした。私たちは最近まで、他のしまんちゅを探し始めるには何を検索すればよいのかさえ分かりませんでした。さらに、母やその兄弟姉妹は日本語やウチナーグチを学ばないように育てられたため、祖母が亡くなった後は、沖縄の親戚と連絡を取ることすら難しくなってしまいました。私は本当に、しまんちゅディアスポラの規模を理解していませんでした。しまんちゅはごくわずかしかおらず、沖縄に行かない限り、他の沖縄出身者に出会うのはほとんど不可能だと思っていたのです。けれど数年前、私はオンラインで他のしまんちゅを見つけ始めました。フォローして会話をする人が増えるにつれ、ますます多くの仲間を見つけることができました。私たちはアメリカ全土、さらには世界中にいました!そのネットワークの中で、私はICLCを知ることができたのです。インスタグラムの投稿がストーリーにシェアされていて、それを偶然見かけたのがきっかけでした。
日本語学習の道のり
前述の通り、祖母以外には日本語やウチナーグチを知っている家族はいませんでした。つまり、ICLCに来たとき、私が耳にしてきた日本語は祖母と過ごしたときのもの、そして母が子供のころに聞いた単語だけだったのです。ですから、私が持っていた日本語はつたない赤ちゃん言葉のようなもので、意思疎通には到底届きませんでした。
ICLCで出会った友人たちは、それぞれ何らかの形で日本語に触れてきていました。子供の頃に授業を受けた人もいれば、家庭で日本語が話されていた人もいました。私は常に一歩遅れているように感じました。「この文末はどういう意味?」「この似た言葉はどう使い分けるの?」「この助詞とあの助詞の違いは?」 「もう一度その発音を聞かせてくれる?」——直感的な理解が全く追いつかず、悔しくて落ち込むこともありましたが、それでも私に丁寧に付き合ってくれる人たちが周りにいたのは幸運でした。
プログラムが終わった今でも、日本語を練習する機会を自分で作り続けさえすれば、この語学プログラムで築いた基礎が、自学自習だけでは到底得られなかった理解を私に与えてくれていると感じます。

沖縄での一番の思い出
沖縄で最も心に残っているのは、やはり「人」です。エイサーを観たり、海に行ったり、やんばるを訪れたりするのはどれも素晴らしい体験ですが、それらは一緒に行った人がいなければ私にとって意味を持たなかったでしょう。ICLCの先生方、ディアスポラや沖縄で出会った友人たち、週末や夜を共に過ごした家族、道で出会った見知らぬ人たち——その人たちがいなければ、私の沖縄への愛は今の半分、いや4分の1にすぎなかったと思います。沖縄を思うとき、私は何よりもまずそこにいる「人々」を思い浮かべます。いちゃりばちょーでー。
ICLCで学んで得たもの
言語を学ぶとき、文法体系や「りんご」という単語の言い方を知る以上のものを得ます。価値観や信念、生活の仕方を学ぶのです。ICLCでの学びは日本語の知識を超え、日本の生き方への深い理解を私に与えてくれました。


未来の学生へのアドバイス
日本語を伸ばすには、地元の人と話すことに勝る方法はありません。家族やお店の人、子供たちと話したとき、私の日本語は他のどんな勉強よりも速く上達しました。それ以外には、「習慣的に勉強する」こと。テストに合格するための勉強と、言語を理解するための勉強はまったく違う挑戦です。







